「61」という数字を見て、皆はナニを思うだろう?
おそらく今という時代を生きる人からしてみれば、この数字は過去の遺物でしかないのかもしれない。
「年間本塁打61本塁打」
この数字こそ、1998年マーク・マグワイアがシーズン62本目の本塁打を放つまでシーズン最多本塁打記録として燦然と輝いていたのである。
この記録を樹立した選手は、ベーブ・ルースでもミッキー・マントルでもなければ、殿堂入りさえしていない。
その男は、当時ニューヨーク・ヤンキースに所属していたロジャー・マリス。日本ではあまり知られていないのではないかと思う。
ボクがメジャーリーグに興味を持ち始め、大リーグ総集編などを読むようになったのは90年。
しかしその当時のボクは、年間最多本塁打記録保持者はベーブ・ルースだと思っており、またそれが間違いではない時代だったのだ。
なぜなら当時、年間本塁打記録には2つの記録が記載されていた。
1961年にロジャー・マリスが記録した61本塁打(162試合制)。
そして、シーズン試合数が154試合の時代にベーブ・ルースが記録した60本塁打が並んで記載されていた。
ようするに誰もが、ロジャー・マリスがベーブ・ルースを越えたという事実を歓迎していなかった。
そんな時代が1991年にコミッショナーがマリスの記録を正式な記録として認めるまで30年間続いたのだ。
1934年9月10日、マリスはこの世に生を受けた。
彼は1957年にインディアンスに入団し、メジャーリーガーとしてのキャリアをスタートしたが、
58年途中にアスレティックスへ移籍、60年から人気球団「ニューヨーク・ヤンキース」へと移籍してきたのだ。
マリスは、ヤンキースに移籍した60年に39本塁打、112打点でMVPを獲得する。
チームメイトで、ヤンキース生え抜きのスーパースター、ミッキー・マントルとのコンビはMM砲と呼ばれ他チームから恐れられた。
翌61年のシーズンで30年間議論され続ける大記録をマリスは達成することとなる。
シーズン序盤の4月こそ1本塁打だったが夏場に入ると本塁打を量産し、マントルと共にルースの本塁打記録に迫る勢いで打ち続けた。
当時の野球ファンは、田舎からやってきたマリスではなく、ヤンキース生え抜きのマントルが神聖なベーブ・ルースの記録を抜くことを願っていた。
マントルがシーズン終盤で怪我により本塁打王争いから脱落すると、いよいよマリスの本塁打記録達成が目前となってきた。
すると、これからマリスが更新しようとしている本塁打記録に対してコミッショナーが次のような裁定を下した。
「マリスが、155試合目以降に61号本塁打を打っても、シーズン最多本塁打記録と認めず、参考記録にとどめる。公式のシーズン最多本塁打記録保持者はあくまでもベーブ・ルースとする。」
そしてこの声明を多くのファンが支持し、当時のスポーツライターの3分の2が賛同したという。
それまでマリスは地味な選手でヤンキースに移籍するまで30本塁打以上打ったことは一度もなかったことや、本塁打の飛距離がマントルが150m級を放つのに対し、マリスは低い弾道でギリギリ越える程度のホームランを放っていたことも本塁打記録にふさわしくない人物として扱われる一因となっている。
1961年10月1日のシーズン最終戦163試合目にマリスは歴史的61本塁打記録本塁打をライトスタンドへ叩き込んだ。
余談だが、マリスの記録を破るマーク・マグワイアは2年後のこの日に誕生している。
その後のマリスは、ストレスや精神的なプレッシャーから61年の記録を達成した時とは別人のように活躍できなくなり、68年(5本塁打)に34歳の若さで引退した。
通算記録は、実働12年、1463試合、1325安打、275本塁打、851打点、打率.260。
MVP2回(60&61年)、打点王2回(60&61年)、本塁打王1回(61年)、ゴールドグラブ賞(61年)、オールスター4回(59〜62年)・・・
61年以降、如何に彼が辛い野球生活を送っていたかが、伝わってくる。
1985年12月14日、悲運のスラッガー・ロジャー・マリスは殿堂入りすることなく静かにこの世を去った。享年51歳。
存命中に記録が自分のモノになることはなかった。
亡くなる2年前、彼はあるインタビューでこう語っている。
「私の野球人生にいい思い出があるとすれば、それは61年以前のことだよ。」
彼の記録が正式にシーズン最多本塁打記録と認められたのは、彼の死後6年後の1991年であった。
それまでの30年間、常にマリスの記録には「*」印がつき、マリスの上には60本塁打のベーブ・ルースが記載されていた。
マリスの説明が長くなったが、映画「61*」は、ロジャー・マリスの61年シーズンを映画化したものだ。
ヤンキースの専属アナウンサーで「This week in baseball」のホストでもあったメル・アレンが出てくるなど、細部にまで楽しめる内容だった。
映画のタイトルにある「*」こそ、前述の参考記録の「*」である。
そして映画の最後の1998年9月8日、シーズン62本塁打を放ったマーク・マグワイアの劇的場面が、すべての忌わしい記録を完璧に塗り替えたと考えると如何に歴史的に大きな62号だったかということを改めて感じる。
そして、この日はロジャー・マリスの誕生日の2日前であったことも非常に劇的と言える。
マグワイアは記録達成後、一目散に最前列で観戦するマリスの遺族のもとへ行き、新記録を報告し抱き合った。
「この記録は彼(マリス)がいたからこそ、このバット(マリスが61号を達成したバット)があったからこそ成しえたと思っている。」
すでにロジャー・マリスはシーズン最多本塁打記録保持者ではないが、記録は塗り替えられるものであり、
塗り替える為には必ず先人の大記録がある。
英語で記録はレコード・ブレーカーという。
98年にマリスの記録が破られたということは、誰もがマリスをシーズン最多本塁打記録保持者と認めていた証拠でもあると思う。
ボクは今でも忘れない。あの98年のホームランレースの興奮を!
その興奮の土台をつくったのは、紛れもなくロジャー・マリスだ。
「61*」を見て、改めそう感じた。
P.S 映画の音楽もサイコーです。
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