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【訃報】稲尾様が仏様に・・・稲尾様が神様に・・・

何だかんだで夜寝るのが明け方そして数時間後、朝起きるというボクの不健康ライフスタイルだが、

日付がかわった13日午前3時過ぎに、とんでもない訃報が入ってきた。


 西鉄ライオンズで活躍した「神様・仏様・稲尾様」とよばれた鉄腕・稲尾和久氏が本日13日午前1時頃福岡市内の入院先の病院で亡くなった。享年70歳。

 

 あまりにも早すぎる。実は先日から稲尾氏の体調を心配していた。沢村賞の選考委員会会長であった稲尾氏がつい数日前に行われた選考会議を欠席していたのだ。ウチの母親なんかも「出てこないなんてよっぽどでしょ、だいじょうぶなのかしら」なんて言っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもみなかった。
 
 

 実は5・6年ほど前からどうしても納得のいかないことがあった。

なんと言っても稲尾投手の評価が低い。それも、全盛期の稲尾投手の現役時代を見ていない人からの評価である。

その反面、全盛期の稲尾投手を見てきた方々の稲尾投手に対する評価は非常に高い。

 おそらく【記録(数字)からでしか選手をイメージ出来ない世代】と、【全盛期をともに生きた世代】との差がクッキリ別れたように感じる。

無論、ボク自身は稲尾の全盛期を目の前で見た人間ではないが、小学生の頃、NHKの番組で太った初老の稲尾投手が出てきて、「針の穴を通すピッチング」に挑戦するのを見た。母親は稲尾は凄かったと盛んに言っていたがボクにとっては巨人軍にいた斎藤雅樹のほうがよほど大投手だと思っていた。

 この太ったオジサンが野球なんか出来るのかと思ってみていたが、見事小さな的を射抜くピッチングを披露した。

 稲尾和久とはどのような投手だったのか?

 高校時代には全くの無名投手だった稲尾は、56年に西鉄ライオンズに入団すると、甲子園で活躍した同期の小倉高校・畑隆幸らが一軍キャンプで投げている中、バッティング投手をしていたのだが、その投球を見た中西太や豊田泰光がその凄さを三原脩監督に伝え、それを見た三原監督は直ぐに稲尾を一軍へ昇格させた。

 その年、稲尾は61試合に登板し21勝6敗、防御率は1.06(1位)で新人王に輝いた。翌年57〜59年は3年連続で30勝以上(日本記録)、そして61年に78試合に登板し、42勝14敗、防御率1.69を記録する。シーズン42勝は39年のスタルヒンと並び日本タイ記録(スタルヒンの39年の勝敗は42勝15敗)。しかし時代背景を考えればプロ野球黎明期にダントツの活躍をしていたスタルヒンの42勝も価値があるが、戦後高度経済成長とともに国民的スポーツへと成長していた61年の稲尾の42勝はとてつもない記録だ。

57年からこの61年まで5年間に稲尾が挙げた勝ち星は合計160勝(年平均32勝)。こんな投手は今も昔もいない。

 

 稲尾を語る上で必ず出てくる出来事は1958年(昭和33年)の日本シリーズ。ボクはやはりこの日本シリーズが日本シリーズ史上もっとも素晴らしい日本シリーズだと考えている。

 巨人と西鉄で行われたこの年の日本シリーズ、新人・長島茂雄の活躍、現役最後の打撃の神様川上哲治の雄姿、対する野武士軍団と言われた西鉄ライオンズは田舎の貧乏球団から常勝球団へと変貌させた魔術師・三原脩…そして、巨人の監督は水原茂。書くと本当に長くなってしまうが、簡単に説明すると三原脩と水原茂は同じ香川・高松でともに高松商業と高松中学で活躍、二人が全国区となったのが大学進学後。三原脩は早稲田大学、一方の水原茂は慶應大学で当時日本で最も国民が熱狂した東京六大学・早慶戦の花形選手となり、その後戦前はともに巨人軍へ。1947年に巨人軍の監督に就任した三原だったが、49年夏に水原がシベリア抑留から帰還すると49年に1位ながら翌年水原茂が巨人軍の指揮をとるようにとなる。(51年に三原は西鉄ライオンズへ)

つまり永遠のそして因縁のライバル「三原vs水原」の激突といった意味でも非常に興味深い日本シリーズなのだ。

 その日本シリーズを決めた人物こそ稲尾和久なのだ。初戦・2戦ともに西鉄らしさが出ず、第3戦には稲尾が完投し、失点はこのシリーズで当たっていた広岡達郎に打たれたタイムリー3塁打の1点のみに抑えるも相手投手藤田元司が絶好調だったこともあり打線の援護なく敗戦。巨人軍が3勝0敗でストレート勝ちへ王手をかけ10月15日、前夜から雨が降り、午前中には雨はあがっていたのだが遠方からくるファンに迷惑にならないようにとファンを配慮し、早々に中止が決定した。

 この雨こそ日本シリーズの流れを大きく変えた雨だった訳だ。翌日行われた第4戦では先発は3戦目完投した稲尾。巨人先発の大友工。巨人は初回2点を奪うなど、序盤に3点を奪われるものの中西の勝ち越し本塁打などもなり6対4で西鉄はようやく1勝目を挙げた。

 第5戦、西鉄の先発はあまり知られていないが稲尾ではなく西村貞朗であった。しかし、西村は初回にウォーリー与那嶺に3ラン本塁打を打たれ1アウトも取れず交代、稲尾がマウンドに挙がったのは0−3で西鉄ビハインドの4回からだった。敗色濃厚だった第5戦、巨人軍先発の堀内庄の好投で6回まで無失点、7回に中西太が2ラン本塁打を放ったものの、2−3のまま最終回9回裏へ。まずこの回先頭の小淵が三塁線を抜ける二塁打。この判定に「ファールでは」と水原監督と長島三塁手が抗議。結局、判定覆らなかったがココで巨人はエース藤田元司を登板させ万全を期す。無死二塁、打者豊田泰光は送りバントで1死3塁、期待の4番中西だったがサードゴロに倒れ、万事休すと思われたが、5番関口清治がセンターへ抜ける起死回生の同点タイムリーヒットを放つ。巨人があと1死とれば同点という場面で再び試合は振り出しへ戻る。そして10回裏、試合を決めたのは投手稲尾のレフト越えのサヨナラ本塁打だった。スコアは4対3で西鉄ライオンズが勝ちシリーズ成績は2勝3敗。

 後楽園に戻った第6戦。西鉄の先発はエース稲尾和久、巨人もエース藤田元司。第3戦と同じく白熱する投手戦と思われたこの試合、初回に中西の2ラン本塁打で西鉄が先制すると、そのまま最終回を迎え巨人は二死1,3塁とチャンスをつくり、長島茂雄を迎えるがキャッチャーファウルフライに打ち取られ2対0で西鉄が3勝目をあげシリーズ成績をタイに持ち込み、最終第7戦へ。

 第七戦の先発は巨人が堀内庄、西鉄はまたもや稲尾。

第七戦は、初回に西鉄・中西が3点本塁打で3点先取。


初回に巨人の先発・堀内庄を引きずり下ろすと、負けられない巨人も前日に続きエース藤田元司をマウンドへ。その藤田も5回にタイムリーで2点を奪われる。6対0で最終回巨人の攻撃、先頭の長島がランニング本塁打を放ち、1点を返すも藤尾茂・川上哲治、そして最後はエンディ宮本をセカンドフライに打ち取り、西鉄が3連敗の後の4連勝で日本一に輝いた。MVPはもちろん稲尾和久だった。


※このシリーズの映像を詳しく見たい人は『巨人軍物語』というビデオ(DVD化されているはず…)で小西得郎監督の名解説付でじっくり見ることができます!

 そんな大投手・稲尾はチーム事情から先発・中継どちらでも登板するようになり32歳で迎えた69年のシーズンオフ。この年の日本シリーズで西鉄ライオンズが敗退行為を行う八百長を持ちかけられ実施されたいわゆる「黒い霧事件」が明るみとなり、またシーズン中に休養となった中西太監督の後任として監督を打診され、チーム事情により現役続行の希望は通らず稲尾は引退試合を行うことなく引退することとなったのだ。翌年に八百長が明るみに出て敗退行為を実施した為、永易将之元西鉄投手が他に関わったとエース池永正明(実際に敗退行為が行われた試合には登板していない)を含む6名の名前を暴露し70年5月25日にコミッショナーは池永・益田・与田の3投手を永久追放処分とした。

 その影響もあり、稲尾が監督を務めた西鉄3年間はすべて最下位、太平洋クラブライオンズとなった73・74年も前後期ともに優勝することはできなかった。

 

 通算276勝136敗は、金田正一の400勝には124勝も足りない。

金田正一は国鉄スワローズのエースとして活躍していたが、その活躍から監督を押しのけて、一投手が「ピッチャー金田」とリリーフしたりしていたという。そして10年選手の権利を行使しして巨人に移籍、移籍後は1年目に14年連続続いていたシーズン20勝以上が途絶え、1969年に400勝を達成し引退した。華やかな引退試合で締めくくった金田は悪い言い方をすれば自己中心的、その実力があったからこそこの言葉では表し切れないが常に金田が自分のやりたい放題できた現役生活であった。

 それに対し、稲尾は金田と違い周囲の環境に大きく影響された野球人生だったと言える。

 現役時代、稲尾の得意球はスライダーだと多くの書物に書かれているが実際に彼が最も得意としていたのはシュートだったと本人が語っている。そのシュートを活かす為に、逆の変化をするスライダーを打者に意識させるようにメディアをも利用していたという。

 「人気のセ、実力のパ」という表現のとおり、華やかな野球人生をメディアを通じて見せていた金田正一に対し、実力のパリーグを代表するエース稲尾和久は、メディアを使い自らの実力を活かしていたというのを考えると、また面白いものだ。

 稲尾は生涯福岡を愛し、大分・別府で育ち今日その別府で70年の生涯を終えた。

稲尾の公式ホームページでは10月9日までソフトバンクホークスの試合を「鉄腕評論」を行っていたし、10月2日には稲尾記念館の開館に姿を見せていただけに信じられない本当に信じられない、信じたくない訃報だった。

 

 日本は今、「オールウェイズ三丁目の夕日」のような昭和30年代の「古き良き時代」に感動を感じている。その30年代、スカパーのように放送こそしていなかったが、地味なパリーグに西鉄ライオンズという野武士軍団がいた。稲尾和久という世界に誇る鉄腕がいた。6月にはあの日本シリーズ第5戦で王手をかけられた9回二死で同点タイムリーを放った関口清治のこの世を去った。

 数少なくなった野武士軍団。つい数日前も永久欠番について書いたとき、稲尾和久の永久欠番が球団売却により失効されていることを書いた。

稲尾氏が亡くなった今、西武ライオンズはもう1度、背番号24の永久欠番を検討して欲しい。


 あの時代が「映画」だけで終わってしまうような空想の時代に消えて無くならないように・・・



ご冥福をお祈りいたします。


神様、仏様、稲尾様

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  • 作者:稲尾 和久
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神様、仏様、稲尾様

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