今日は何の日かと言えば、32年前の今日アントニオ猪木vsモハメド・アリの異種格闘技戦が日本武道館で行われました。
今でこそ総合格闘技という異種格闘技戦が行われていますが、この時代にモハメド・アリとの異種格闘技戦を実現したアントニオ猪木のスゴさを改めて感じます。
モハメド・アリは、20世紀を代表するスポーツ選手を選んだ場合、あのベーブ・ルースを抑えて1位になるくらいの歴史的スーパースターです。
大げさではなく、アメリカ大統領くらいに世界中で知名度があったと言っても過言ではありません。
もちろんその人気は「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という華麗なファイトスタイルと、エンタテインメント性たっぷりのビッグ・マウス、そして何よりもその実力がともなっているまさにカリスマ性をたっぷりのスーパースター!
世界チャンピオンだったアリがある日、「誰か東洋人でオレに挑戦するヤツはいないのか?100万ドルの賞金をだす!レスラーでも何でもいい!」とおなじみのリップサービスで冗談を込めて、放った一言に日本のアントニオ猪木がその冗談に対して本当に挑戦状をたたきつけたのです。
当たり前ですが、世界的な知名度を誇るモハメド・アリと世界では無名のアントニオ猪木という立場を考えれば、こんな試合が実現するとは誰もが思っていなかったはずです。
格闘技に精通している方ならわかると思いますが、世界的な地位を確保したアリが、世界的に無名な猪木と闘うメリットは何一つないのです。
猪木は世界中のメディアを駆使して、アリ戦へのアピール。そしていよいよアリvs猪木の世紀の一戦に向けて両者合意に達しました。
とは言っても、直前の直前までルール変更やら条件変更やらで、猪木が攻撃一切攻撃できないようなルールに変更されていきました。
プロレス技はほとんど禁止、投げ技禁止・立った状態でのキック禁止、寝技は10秒まで、アリへの頭部への攻撃禁止・・・
はっきり言ってどんな攻撃も封じられたルール。
1976年6月26日、日本武道館で世紀の一戦は世界中の注目を浴びてゴングを鳴らした。
試合開始から猪木は寝っ転がり、アリの足元へスライディング。誰もが予想もしなかった攻撃です。(←やるとわかっていたら禁止されていたでしょう。)
そして1回、猪木はアリを寝技に持ち込むことには成功したものの極めきれず、結局3分15ラウンドの90分を猪木は寝っ転がって、アリは逃げ続けながら攻撃し続け、見せ場もほとんどなく試合終了のゴングは鳴らされました。
何かが起きることを期待されていた世紀の一戦は、何も起きなかった世紀の大凡戦と世界中から批判されることとなりました。
ちなみに10年ほど前、猪木アリ戦の全15R、何も起きないと分かりつつも、画面にかじりつくようにして見ました!
そんな1戦ですが数十年後、フタを開けてみたらどうでしょう!この1戦から今の総合格闘技が生まれたといっても過言ではありません。
アリ戦以後も新日本プロレスは異種格闘技戦をやっていましたが、この異種格闘技戦という発想そしてルール面での難しい問題、そんなものをこの猪木アリ戦は残したのだと思います。
それにしても自らがドンドン不利になっても落ち込むのではなく、その網の目を潜るような攻撃方法を見つけ出す猪木の思考はやはりスゴいと思いますね!
もちろん誰もが冗談だと思っていたアリ戦を実現させてしまった行動力、どんなに険しい道になってもこの1戦にこぎつけたのは良くも悪くも周りの目を気にしていいたら絶対に辿り着くことの無かった1戦でしょう。
現実的に見れば、「ありえない」1戦なわけですし、普通の人ならそこで諦めてしまう訳です。しかし1%でも可能性があれば挑戦するそのヘビのような執着心が「伝説」を作り上げたのです。
猪木サンの好き嫌いは結構別れるところだと思いますが、好き嫌いは別としてやはりスゴい人だと思います。
ちなみに燃える闘魂アントニオ猪木の誕生日は、燃える男長嶋茂雄と同じ2月20日って結構スゴい!
最後は猪木サンの引退試合での名言
「人は歩みをとめた時に、
そして挑戦をあきらめたときに
年老いていくのだと思います。
この道をゆけばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ」