世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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シェイ・スタジアムとtake me out to the ball game

take me out to the ball game♪



メジャーリーグでは7回になるとtake me out to the ball game(野球場へ連れてって)がながれる。
歴史は古く1908年に作曲され現在に至るまで野球ファンには馴染みの曲である。



近年では日本の野球場でも7回になると流れるようになった。



さて先日の日記で、ブルックリン・ドジャースの本拠地エベッツ・フィールド(エベッツ球場)の取り壊しについて書いたが、ニューヨークにあった3球団のうち2球団(共にナショナル・リーグ)がアメリカ西海岸に移転した1950年代後半だった。
2球団の移転がきっかけで誕生したのがニューヨック・メッツだった。
チームカラーの青はドジャースの青(ドジャー・ブルー)、オレンジはジャイアンツのオレンジと共に移転してしまった球団のチームカラーを採用したのだ。そして本拠地シェイ・スタジアムは1961年に開場した。


1960年代のミラクル・メッツは有名だが、それ以上に日本人にとって大きな出来事は1964年9月1日にシェイ・スタジアムでメジャーリーグ史上初めて日本人選手が登場したことだろう。
東京オリンピックを間近に控えたこともあり、日本人初のメジャーリーガーとなった村上雅則の快挙は大きく報じられることはなかったようだが。


語り草になっているムーキー・ウィルソンのファーストゴロをビル・バックナーがエラーしたのも、このシェイスタジアムだ。


さて、このシェイ・スタジアムは音楽ファンの聖地でもあった。


1965年8月に人気絶頂のビートルズがミュージシャンとして初めて野球場でコンサートを行ったのだ。

野球場でコンサートをやるという発想から誕生したものではなく、ビートルズの全米ツアーの日程が大幅に短縮することとなり、数万人単位で収容できる会場を探した結果、野球場となったと言われている。

当日は55600人を集客し、当時としては世界最大の観客動員数だったそうだ。

それから多くのミュージシャンが野球場でコンサートを行うようになった。

ちなみに日本で最初に野球場でコンサートを行ったのはザ・タイガースで後楽園球場で行われた(1968年8月)。




ニューヨーク・メッツは、2008年シーズン終了をもって新造していたシティ・フィールドへと本拠地を移転。

それに伴い、2008年シーズン終了後に数々の伝説を作ったシェイ・スタジアムは解体されることとなった。



私自身は残念ながらシェイ・スタジアムに行ったことはなかったが、DVDで見た閉幕コンサートとなったビリー・ジョエルのライブは非常に印象的だった。

解体が決まっていた2008年7月16日・18日にビリー・ジョエルがシェイ・スタジアムで閉幕コンサート2公演を行った。

ジョン・メイヤーやガース・ブルックス、トニー・ベネット、エアロスミスのスティーブン・タイラーらと次々と大物ゲストが登場したこのコンサート。

いよいよコンサートもフィナーレとなったところで登場したのが、ビートルズのポール・マッカートニーだった。

登場したポールは、ビートルズ時代の曲「i SAW her standing there」を披露。


ポールの演奏が終わり、いよいよコンサートはフィナーレが近づいたその時、ビリー・ジョエルがピアノ演奏したのが、



Take me out to the ball park



だった。わずか46秒だった。
彼は歌わずピアノだけ弾いたが、この曲が流れた瞬間、拍手ではなく大観衆の歌声が鳴り響いた。
そこは完全にボールパークへと化していた。


その流れのまま、ビリーが演奏したのはPiano Man。
私がビリーの曲の中で一番好きなPiano Manへこのような流れで突入された私はコンサート会場に居た訳ではないのに鳥肌が立った。



まさに最高のボルテージの中でコンサートは終了かと思いきや、先ほどまでゲストで演奏していたポール・マッカートニーが再び登場。
ピアノの前に座るとビートルズ時代の名曲「Let it be」を演奏。
野球のシーズンは続くものの、この日が最後となったシェイ・スタジアムのコンサート。
その最後の公演はビリー・ジョエルだったが、おおとりを務めたのはこのシェイ・スタジアムで世界で初めて野球場コンサートを行ったビートルズのポール・マッカートニーだった。
ビートルズで始まり、ビートルズ(ポール)で終わったシェイ・スタジアムのコンサート。



マイクを片手に控えめにピアノの上に座るビリーの姿は印象的だった。
目立たぬコーラスで「Let it be」を盛りあげ、ポールと二人でシェイ・スタジアムのコンサートの歴史を閉じた。



take me out to the ball gameを弾くビリーのピアノの上にはニューヨーク・メッツのキャップが置かれていた



ちなみに移転先の新球場シティ・フィールドで、こけら落しコンサートを行ったのもポール・マッカートニーだった。


↑シティ・フィールドでのライブCDの盤面のデザインはポール・マッカートニーのサインボールだった。
 ちなみに2002年にアメリカで行われた某オークションにビートルズ4人直筆の寄せ書きサインボールが登場した。
 出品されたのは1966年にワシントン・セネタースの設備マネージャーの娘の為に書かれたボールで、落札額は43,595ドル。
 アメリカでは野球選手のみならず野球のボール(メジャーリーグ公式球)にサインをすることが一般化していてコレクターも多い。
 ビートルズのサインは偽物はもちろん代筆も非常に多く、鑑定家は何年ごろに誰が代筆したかまでわからなければ鑑定するままならないようだ。
 ちなみに現在アメリカのオークションにポールのサインボールは出品されるが5,000ドル近くすることも珍しくないそうだ。
 今年5月には国立競技場でライブを行うポール・マッカートニー、8月にはドジャースタジアムでのライブが決まっている。 
 








↑ Johnny Vander Meerの直筆サイン入り写真(2試合のノーヒットノーランの日付入り)



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