昨年6月、女性お笑いコンビのクワバタオハラの小原正子さんが結婚を発表した。
そのお相手は、日米球界で活躍したマック鈴木投手だったのは驚きだった。
久々にマック鈴木という名前を聞いた方も多かったはず。
野茂英雄の渡米前(1994年以前)からメジャーリーグを本格的に興味を持っていた方にとっては、マック鈴木という投手は成績以上に大きな夢を与えてくれた投手だったと言える。
1994年は、南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学していた村上雅則投手(マッシー村上)が日本人初のメジャーリーガーとなった年から30年目。
その30年間、メジャーリーグは日本のファンにとっても選手にとっても日本人には到底手の届かない場所だった。
当時、走攻守3拍子揃っていた西武ライオンズの秋山幸二選手が通用するとかいう話は出るもののメジャー移籍するなどという話は全く現実味がなかった。
そんな頃に流星のように現れた18歳の若者がマック鈴木だった。
1994年、マック鈴木はシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだのだ。
もちろん日本のプロ野球経験もなければ、高校野球も1年秋までしかやっていない。
週刊少年漫画誌「週刊マガジン」では『マック鈴木物語』が特別読切で掲載されたことを考えれば、その存在の大きさが伝わるだろう。
日本人に手の届かなかったメジャーリーグに挑戦する18歳の日本人投手に大きな期待をしていた。
1995年に野茂英雄が渡米する時には、「マック鈴木より先にデビューしないでくれ」と内心思っていたものだ。
それ位、マック鈴木という野球選手は大きな夢だった。
野茂英雄がデビューした翌年、日本人3人目のメジャーリーガーとしてデビューした。
そのマック鈴木、、、シアトル・マリナーズとマイナー契約をしてから20年以上経つが唯一解けぬ謎がある。
それは彼の名前である。
マック鈴木の本名は鈴木誠。
「すずきまこと」である。
1994年は、まだメジャーリーグのベースボールカードを日本で購入するのは大変な時代であった。
アメリカのオシャレな雑貨店がチョコチョコ存在していた時期だが、そのようなオシャレな輸入雑貨店でちょっとばかし扱っていたり、
渋谷にあったワールドスポーツプラザ、明大前にあったJo'sスポーツカード、乃木坂にあったアティック東京など数店舗しかなかった。
そんな頃、マック鈴木のカードが欲しくて都内某店でマック鈴木のマイナーリーグのカードを買った。
メジャーリーグのベースボールカードの入手が難しいのだから、マイナーリーグのカードなど当時の日本においてはメジャーリーグのカードより貴重だった。
1993年にFleer社から発行されたexcelというブランドのカードだった。当時の購入価格は今でも忘れない、3000円だった。
このカードはエラーカードなのでは??
いつしか、そんな噂が出始めた。
エラーカードと言えば当時は1991年BBM社オールスターカードセットの古田敦也選手の裏焼きカードが有名で非常に高額で取引されていた。
しかしマック鈴木のカードはエラーなのかどうかが未だにわからないのだ。
名前が
「Makoto Suzuki(マコト スズキ)」
ではなく、
「Makato Suzuki(マカト スズキ)」
と表記されているのである。
普通に考えたらエラーカードだろう。
その後、他のカードでは「MAC SUZUKI」や「MAKOTO SUZUKI」という名前のカードが発行されているが、MAKATO SUZUKIという名前のカードも各社から発行されている。
極めつけは2001年に当時ミルウォーキー・ブリューワーズに所属していたマック鈴木とベースボールカード会社トップス社の契約書である。
なんと
【Makato Mac Suzuki】
と印刷されており、その印刷部分をペンで
【Makoto Mac Suzuki】
に訂正されている。
もちろんマック鈴木の正式名称(本名)が、鈴木誠(すずき まこと)であることは言うまでもない。
しかし、なぜコレだけ【Makato Suzuki】という表記が氾濫していたのかは謎だ。