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1971年アリゾナでメジャーリーグと対戦した【東京オリオンズ】の足跡。Vol.2 東京ロッテオリオンズ・スプリングトレーニング・プログラム

前回の投稿

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1971年にカリフォルニア・エンゼルスと対戦した【TOKYO ORIONS】について調べてみた。



すると、東京オリオンズという表記の謎が一つずつ紐解けていく。



まず1971年のロッテオリオンズのアメリカ・アリゾナキャンプには現地向けのプログラムが発行されていた。


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↑濃人渉監督・榎本喜八・江藤慎一(1970年に中日ドラゴンズから移籍)・ジョージ・アルトマンなどのサインが書かれている。



【1971 Tokyo Lotte Orions Spring Training】



これが表紙に書かれている本書のタイトルだ。


ページをめくっていくとスケジュールも記載されていた。


1971年3月9日と3月16日のパームスプリングスで、3月31日にアナハイムでカリフォルニア・エンゼルスとの試合が組まれている。


昨日の投稿のスコアブックマガジンはこの試合用のものであることがわかった。



もう一つの謎、それは【TOKYO ORIONS】の表記の謎だ。



既に東京オリオンズからロッテオリオンズになり3年目のシーズンを迎える。



百歩譲って初年度などであればまだわかるが3年目シーズンであり、前年度は優勝している訳だ。



そこで【東京オリオンズ】としてアメリカ遠征を行った件についての推測を書いていこうと思う。(独断と偏見で!)



まずこの冊子、1ページ目から驚かされるのは、選手に負けじと【永田雅一オーナー】の写真がたくさん載っている。



これまで多くの野球のプログラムを見てきたが、ここまでオーナーの写真ばかりが載っている写真も珍しい。


つまり、このアメリカ遠征には永田オーナーの思いが強く込められていたのかもしれない。

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1969年、映画会社・大映の経営も苦しくなってきており、岸信介の仲介でロッテを紹介され業務提携、東京オリオンズという名前に永田オーナーは固執したが最終的には、経営は毎日大映球団、名前はロッテオリオンズとなった訳だ。


その経営自体もアリゾナキャンプの直前、1971年1月25日、永田オーナーは経営不振の大映の立て直しの為に球団経営から撤退、ロッテへ球団売却している。


このアメリカ遠征に永田オーナーはいなかったのではないかと推測している。



おそらく【ロッテオリオンズ】ではなく、【TOKYO LOTTE ORIONS】、さらにはスコアブックマガジンにはロッテオリオンズではなく【TOKYO ORIONS】になっているのは、東京オリオンズという名前に固執した永田オーナーの仕業では・・・と思いたくなってしまう。



いや東京スタジアムの時もそうだったが、やはりそこは永田雅一オーナーの【ロマン】を感じたい。



スプリングキャンプとは言え、東京オリオンズ対大リーグ、、、


永田オーナーは何を思ったのだろうか・・・


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↑若かりし日の村田兆治
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↑日本で最も速かった男・飯島秀雄