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ロサンゼルスオリンピック野球日本代表金メダル監督 松永怜一 直筆サイン本【パワー野球への挑戦】

松永怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者です。
1984年のロサンゼルスオリンピックで野球日本代表を監督し、金メダルを獲得したことで広く知られています。
高校、大学、社会人野球で多くの優れた選手を育て、「野球指導者の中の指導者」と称されました。


1950年、福岡県立八幡高等学校で三塁手として春の選抜大会でベスト8に進出しましたが、夏の県予選決勝で小倉高等学校に敗れ、夏の甲子園出場を逃しました。
特に9回裏の同点チャンスで二塁打を放ちながらもチームが敗れたことは、松永の心に深く残りました。

1984年オリンピック前の練習中、選手の正田耕三がボールを投げつけ鎖骨を骨折させましたが、松永は怪我を押して指導を続けました。
ニカラグア戦で正田が肩を脱臼した際、「正田が頑張っている。皆も立ち上がれ!」とチームを鼓舞し、金メダル獲得に貢献しました。

松永は、「野球指導者の中の指導者」と称され、厳しい練習で知られました。特にノック練習では、36インチ(約90cm)、600gの黒い硬質オーク製の特注バットを使用し、選手に高い技術と精神力を求めました。「選手が2倍努力するなら、コーチは4倍、監督は8倍努力しなければならない」と語り、常に選手第一の姿勢を貫き、成功は選手や部下の功績、失敗は自分の責任とする姿勢を貫き、「選手第一」のアプローチを重視しました。