1951年(昭和26年)から東京近郊で紅梅製菓から販売されたいた『紅梅ミルクキャラメル(通称:紅梅キャラメル)』の空箱。
キャラメルとともに巨人軍の選手のカードが封入されていて監督含め全ポジションのカード10枚を集めると、景品と交換してもらえるシステムだった。景品にはカメラのような高級品もあり子どもたちは景品欲しさに熱狂したのだ。
のちにPTAで問題となり不買運動に発展、その影響をうけて1954年(昭和29年)に紅梅製菓は倒産した。
【野球は巨人 キャラメルは紅梅】といったキャッチフレーズで一世を風靡したが、わずか数年でキャラメルはおろか会社すらなくなってしまったのだ。
倒産後に紅梅製菓に勤めていた人たちが【新紅梅製菓】という会社を立ち上げ、【新紅梅キャラメル】を発売するが、1958年(昭和33年)を最後に姿を消す。この1958年というのは日本が生んだスーパースター長島茂雄が巨人軍でデビューした年。
青バットの大下、赤バットの川上の時代の終焉とともに紅梅キャラメルという文化も消えていったのだ。
実はこの熱狂は【年代限定】【地区限定】ということもあり、情報がほとんど残っていないのが残念で仕方ない。
年代でいえば【1940(昭和15年)~1950年(昭和25年)生まれ頃の男性】
地区でいえば【東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬あたり】
該当する方に会うたびに紅梅キャラメルについてきいてしまう癖は抜けない。
ただでさえ文献が残っていない紅梅キャラメル文化、記録に残らないような文化的(主観的)な側面を知りたいというのがその目的だ。味については、イモを使ったキャラメルだったようで砂糖は含まれていたなかったという。その為他のキャラメルと比べると非常にまずかったそうだ。子ども達のポケットには食べることもなく、そして行く当てのない紅梅キャラメルが忍んでいたと。
実は先日も紅梅キャラメル世代の方に伺ったところ優等生だったらしく紅梅キャラメルの存在自体はしっていたが思い出はとくにはなかったが、同世代に話をきいてくださるということだった。
なぜ野球は読売巨人軍が圧倒的な人気を誇るのか?
そこに【紅梅キャラメル】という存在が影響するのではないかという仮説を私はたてている。
子ども時代に【熱狂したもの】は、その子どもたちが大人になった時にリバイバルされ再ブームが起こる。
もちろんそのリバイバルから入ってくるその時代の子どもたちもいる訳だが、どちらかというと大人が熱狂する。
日本野球界では長らく職業野球よりも東京六大学野球の方が人気があったが、その人気がプロ野球と逆転したのは長島茂雄氏のプロ入りだとよく言われる。
子どもの頃に紅梅キャラメルで集めた巨人の選手たちのカードがきっかけで、その後の巨人ファンとなるきっかけとなった子どもたちも多かったのではないかと私は考えている。まさに【野球は巨人 キャラメルは紅梅】というキャッチフレーズで子ども達の頭の中が【野球は巨人】になってしまったのではないのか。
今後も紅梅キャラメルについて調べていきたいと思う。
文献で調べられるようなことではなく、主観的な空気感やら経験者でしか知りえない紅梅キャラメルの熱狂を。
setagayakusayakyu.losgitanos.net
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