まもなく8月15日がやってくる。
戦後79年目の夏が今年もやってくる。
野球界も多くの選手たちを戦争で失った。
東京ドームの敷地内には戦没職業野球選手たちへの【鎮魂の碑】があり、毎年8月15日に行くとたくさんの花が供えられている。
鎮魂の碑は職業野球選手だが、野球殿堂博物館の中にはアマチュア戦没野球選手の名前が掲示されており、こちらにも8月15日には花が供えられている。
戦後79年、終戦時に生まれた方ですら79歳となることを考えると【戦後】なのかとともにリアルな戦争の記憶が遠のいていくことが避けられない現実に直面しているように感じる。
今年3月ごろからヤフーオークション上では【野球と戦争】の歴史にまつわる貴重な遺品が大量に出品されている。
1945年6月に沖縄・摩文仁海岸で戦死した田部武雄の遺品が大量に出品されているのだ。
田部武雄を野球ファンでなければあまり馴染みがない名前かもしれないが戦前の日本野球のスーパースターだ。
当時、日本野球最高峰の東京六大学野球の明治大学野球部で活躍し1935年の大日本東京野球倶楽部(現在の巨人軍)のアメリカ遠征にも参加していることは多くの野球ファンにも知られているがその人生は謎が多い。
戦前の大選手であったが職業野球誕生前夜に日本野球とは袂を分かち、満洲へ。その満州で応召、満洲から戦地・沖縄へと向かい二度と満洲の地を踏むことはなかった。
1945年6月に沖縄・摩文仁海岸で戦没となっているが田部の詳細の没日や状況は諸説あり、また田部の人生のほとんどが満州国で過ごしていることもあり、そのあたりも謎が多い理由なのかもしれない。
そんな田部の個人的な個人的な野球にまつわる遺品ばかりで、どれもこれも田部の遺品としての価値だけでなくプロ野球誕生前夜の状況が伝わってくる貴重な資料といえる。出品当初は数千円や数万程度で落札されていたものだったが現在は軒並み十万円を超える高値がついている。
今回ヤフオクに大量出品されているものは田部自身の野球人生で入手したものばかりで、主に日本野球と袂を分かつ前までのものがほとんどだ。
広陵中学時代から最初の満州時代、明治大学からアメリカ遠征までのものがほとんどだ。戦後79年目にして現れた野球史の重大な資料ばかりで野球殿堂博物館や遊就館に展示されるべきものばかりだ。
現在も定期的に数点ずつ出品されているので是非野球史に興味のある方は【一見の価値】はあるはずだ!
↑田部武雄の明治大学時代のブロマイド
setagayakusayakyu.losgitanos.net
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