連日酷暑の中、球児たちもスタンドの応援団も激戦を繰り広げている。
今年は戦後80年となるが、戦時下も高校野球自体は行われていたが事情は平常時とは違うものだった。
下の写真は1940年(昭和15年)~1942年(昭和17年)の高校野球の選手章だ。

左から1940年(昭和15年)→1941年(昭和16年)→1942年(昭和17年)
1940年(昭和15年)選抜の選手章には「2600」という数字が書かれているは皇紀で【紀元2600年】を意味している。
1940年(昭和15年)は神武天皇が即位してから【紀元2600年】ということで国内外でたくさんの行事が行われた。
皇紀とは「神武天皇即位紀元」とも呼ばれ、『日本書紀』の記述に基づき、神武天皇が橿原の宮(現在の奈良県橿原市)で即位したとされる西暦紀元前660年を元年とする日本独自の紀年法。明治時代に定められ、第二次世界大戦終結まで西暦と共に広く用いられた。
そして入場行進曲も『紀元二千六百年奉祝歌』だった。

第17回選抜中等学校野球大会では全国から20校参加し決勝戦では岐阜商業が京都商業を下し優勝した。
ちなみにこの選手章は【滝川中学】のものだが、滝川中学の主な出場選手は別所昭(別所毅彦)投手、芝田良三捕手、喜瀬正顕一塁手、小林章良三塁手、尾西 信一外野手だった。