日本人メジャー通算50勝達成している投手は意外と少ない。
2012年にボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が日本人として4人目の日本人メジャー通算50勝を達成したのだが、たった4人しかいない。
(ダルビッシュ有や岩隈久志・田中将大など今後達成する投手は増えるだろうが・・・)
一人目は日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄が達成している。(メジャー通算123勝109敗)
二人目がおそらく多くの人にとっては意外かもしれない。
伊良部秀輝や石井一久などではなく、大家友和なのだ。(メジャー通算51勝68敗)
三人目が黒田博樹。(メジャー通算68勝70敗)
そして4人目の松坂大輔のメジャー通算53勝40敗へと続く。
※いずれも2013年シーズン終了時点での成績
野茂英雄の渡米以来、日本人投手はかなりの人数が渡米することとなった。
もちろん、そのほとんどが日本プロ野球の第一線級で活躍する「日本を代表する投手」だった。
しかし、その日本を代表する投手たちにとって「メジャー通算50勝」は思った以上に大きな壁といえる。
5年連続二桁勝利であれば達成できるのだが、それがメジャーリーグで難しいということを非常に感じる。
1年や2年、活躍することは可能であっても3年、4年、5年、、、と同じような活躍をすることは難しいのだ。
大家友和投手という投手がメジャーリーグに挑戦した時は本当に驚いた。
1998年当時は翌日に二軍の試合結果を見ることができるのはスポーツ新聞だけだった。
そんな時代に横浜ベイスターズ4年間在籍で1勝しか挙げていない投手がメジャーリーグへの挑戦を表明したのだ。
その頃のメジャーリーグ挑戦は日本でよほどの実績を挙げた投手しかいなかった。(柏田貴史を除く)
1998年オフに横浜ベイスターズとボストン・レッドソックスの間で金銭トレードが行われ、大家はアメリカへ移籍することとなった。
このトレードの数週間後に、現在のようにポスティング・システムが日米間で締結された。
大家はボストン・レッドソックスと契約した。
果たして大家は野球最高峰の舞台で活躍できる選手なのか?
その答えは挑戦1年目の1999年から出ていた。
AA級で開幕2か月で12試合に登板し8勝0敗をあげ6月16日にAAA級にコールアップ。
昇格したAAA級ポータケット・レッドソックスでも好投を続け、7月にはマイナーリーグのオールスターゲーム「フューチャーズ・ゲーム」に選出。
世界選抜の先発投手として登板。ちなみにその年のMVPは大家と同じく日本プロ野球からメジャーリーグを目指していたアルフォンゾ・ソリアーノ(元・広島東洋カープ)だった。
この年は12試合に登板し7勝0敗、AAA級での防御率は1.58。
そして翌年2000年6月1日、大家はシャーロット・ナイツ戦に登板しインターナショナルリーグ史上3人目、48年ぶりに完全試合を達成したのだ。
日本プロ野球の歴史でも15回しか達成されていない完全試合。
2002年にはシーズン13勝を挙げ日本人メジャーリーガーの代表的な投手の一人となった。
2009年までメジャーリーグでプレーして通算51勝。
その後、2010年にはメキシカンリーグのキンタナロー・タイガースと日本プロ野球の横浜ベイスターズでプレー。
2011年も横浜ベイスターズでプレー。2012年はクリーニング手術した右肩のリハビリにつとめ、2013年1月には韓国の独立リーグ・高陽ワンダーズに参加し、シーズンは北信越BCリーグの富山サンダーバーズでプレー。
38歳の2014年シーズンは、トロント・ブルージェイズのスプリングキャンプに招待選手として参加するがマイナーリーグ降格→自由契約となり、その後は独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュというチームでプレーしていた。
2010年以降はメキシコ→日本→韓国独立→日本独立→MLBキャンプに招待選手→アメリカ独立リーグと表舞台で見ることは少なくなったが未だ現役だ。
マック鈴木に負けず劣らず多くの国でたくさんの野球を経験している。
2004年には日本のクラブチーム・大家友和ベースボールクラブを作るなど野球界への貢献は大きい。
来季2015年シーズンもおそらくメジャーリーグへの復帰を目指した活動になるのだろう。
再びメジャーリーグのマウンドにあがり通算52勝目を挙げる日が来ることを願いたい。
大家友和投手が2000年6月1日に完全試合を達成した記念に作られた限定100個のサインボール。
サインの他に、「Perfectgame 6-1-00」と記されている。しかもボールは、インターナショナル・リーグの試合球。
達成から来年で15年経つが、現在となっては日米探してもこれだけのクオリティの大家友和のサインを見つけることは難しい。