数字はウソをつかない。
とはいっても過去の記録は時として、修正されることがある。
記録達成が非常に注目を集める数字でさえも。
Mr.3000というアメリカのコメディ野球映画はそんなテーマを題材にしたものだ。
日本でも有名なのは別所毅彦投手の通算最多勝利記録更新だろう。
戦後プロ野球の大投手は、1957年に4年ぶりに20勝を下回る14勝、58年には9勝(26試合登板)に終わり13年続けてきた二桁勝利にすら届かった。通算294勝、37歳のシーズンに向けて別所が球団に【35試合登板】という条件だった。(結局、選手が起用法に条件を出すなどとんでもないと却下)
そこには通算300勝への並々ならぬ想いがあったからだ。
1959年に7勝を挙げ、無事300勝をクリアし、通算勝利数は301でシーズンを終えた。
この301勝という数字は、ビクトル・スタルヒンの持つ通算勝利記録(当時)だった。
1960年4月29日に通算302勝目を記録しスタルヒンの記録を塗り替えた・・・はずだった。
この年9勝を挙げ、通算310勝となり大投手は引退した。
通算310勝だったから大きな問題にならなかったが、スタルヒンの記録更新を花道に302勝で引退していたら、後にとんでもない悲劇を招くことになっていただろう。
1939年のスタルヒンのシーズン勝利数が42勝だった。しかし戦前は勝利投手の定義があいまいだったこともあり、戦後見直しが行われスタルヒンに明らかに勝利がつかない試合が2試合あり、シーズン勝利は40勝に訂正された。
しかし1961年に稲尾和久がスタルヒンのシーズン40勝を上回るシーズン42勝を記録した際に、1962年3月30日にコミッショナー裁定で「あとから見ておかしなものであっても、当時の公式記録員の判断は尊重されるべき」と、スタルヒンの記録は40勝から42勝に戻されることになる。それに伴い通算勝利数も301勝から303勝となった。
奇しくもこの10日前の3月20日に別所毅彦は引退試合を行っている。
もし302勝で引退をしていたら、引退の10日後に再び既に故人となっているスタルヒンに勝利数が抜かれていたことになるところだった。
幸いにして【別所310勝】【スタルヒン303勝】で決着したため、通算最多勝記録は別所のものとなった。
しかしそんな最多勝論争も翌年1963年には金田正一が311勝目を挙げ、現在に至るまで通算最多勝記録400は金田正一の手中にある。
↑別所毅彦が通算302勝目を記念して配られた手ぬぐい。