あの頃はよかった・ ・ ・
ひとは人生の中で何度そう思うことがあるのでしょう。
ひとは誰しもが年老いていくものであり、若かりし日々の「あの頃」には、決して戻ることは決してできません。
だから、今になってわかる取り戻すことのできない「あの頃」
・・・偶然にも、そんなことを考える出来事が最近ありました。
おそらく彼もココロのドコかで、そんな誰もが持つ「あの頃」に追われていたのかもしれません。
【伊良部急死】
ボクが日本人メジャーリーガーの話をする時に、【No.1投手】について聞かれれば、必ずいうのが1998年前半戦の伊良部だって言っています。
メジャーリーグで、防御率1位に伊良部が入っていた時に彼は数字以上にスゴかった。
正直、ニューヨーク・ヤンキース移籍までのブランクをボクは後年にわたり悔やんでいたのです。
野球選手のみならず、アスリートにとって致命的なブランク、20代後半や30代のブランクはその後のカラダに大きな影響を与えることは言うまでもありません。
いくら調整していたといえども、彼のそのブランクは非常に大きかったと移籍年に感じたものです。
↑伊良部のルーキーカード!
アメリカで発行されたのに、日本語訳されています!ちょっぴり日本語があやしいのですが、それだけ彼が期待されてた証拠。
しかし翌1998年前半にまさかの快進撃を見せてくれた時には、興奮していましたが、後半戦に一気に崩れていってワールドチャンピオンにはなるものの、ワールドシリーズでの登板はなかったのです。
この1998年には元キューバ代表のオルランド ・ エルナンデスもヤンキースで大活躍するなど、まさに世界最強投手陣の一員に日本人がいるなんて信じられないことでした。
↑ヤンキースでともに活躍した「エル・デューケ」ことオルランド・エルナンデス!
全盛期の伊良部は、もしかしたらロッテ時代かもしれませんが、ヤンキース時代もスゴかったと思いますし、レンジャースでそこそこ活躍していた夏に、病気で離脱したのが悔しいって話を、当時草野球の夏合宿中、ロビーで話していたのを今でも覚えています。
そして阪神に帰ってきて伊良部見たさに神宮球場までオープン戦見に行きました。
そういえば今週の「週刊エコノミスト」(経済誌)で統一球導入により見えてきたプロ野球の真の姿を分析していました。
今のプロ野球の成績は、打高投低というものではなく、打者のレベルが低下していることによるものからくるもので、自然と投手の成績も向上したと説いていました。
その記事を読んだ時、伊良部が最も輝いた1998年といえば、マーク・マグワイアとサミー・ソーサのホームラン・レースの年。
2人が60本を超えるホ〜ムランを打っただけでなく、ケン・グリフィーとグレッグ・ボーンも50本以上のホームランを放ちました。
日本の統一球とは逆に「飛びすぎるボール」が話題になった年でした!(もちろんメジャーリーグは統一球なのですが・・・)
こんな年に活躍した伊良部秀輝はやはり超人としか言いようがありません・・・
どうしても「過去は美化」される反面、最高の選手を選ぶときに「現役選手が入りすぎる」傾 向がある訳で、
過去から現在までの選手比較は難しいものですが、様々な観点からみても、1998年の伊良部の活躍(特に前半戦)は、神がかっていました。
98年当時の雑誌からデータを探してみると、6月16日までに11試合に登板し、防御率は本拠地で1.95(4試合)、ロードで1.51(7試合)。
規定投球回数に達してからこの時期まで、一度も防御率1位をあけわたしていなかった・・・しかも防御率は1点台です!
例えシーズン全部ではなかったかもしれませんが、日本人がココまでの快進撃を見せたことがあっただろうか?!
8月11日に11勝目を挙げて、そこから0勝4敗、しかも防御率13.50。12勝目は9月17日でした。
つまり数字だけ見ればシーズン【13勝9敗、防御率4.06】というモノでしかないけれど、序盤の彼の投球を語る人が少ないことからも、やはり数字やダイジェストとしての伊良部を見ていなかった人が多かったことが言える。
少なくとも序盤での彼の活躍をボクは決して忘れないし、衝撃的な記憶だったからこそ、わざわざ当時の雑誌を引っ張り出して検証しています。
↑1995年のロッテ・ファンブック!ほとんどの選手・ コーチのサインが入っているけれど、伊良部のサインは入っていない・・・