世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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東京大学野球部と横浜DeNAベイスターズ

2015年5月23日、東京大学野球部が春季リーグ戦の対法政大学1回戦で6対4で勝利し、2010年10月2日以来の白星を挙げた。
その連敗数は94(2引き分けを含む)まで伸び、約4年半の間ひたすら負け続けた。


しかし野球推薦で後にプロ野球でプレーする選手を多数抱える他5大学と違い、学力のみで最高学府へ入ってきたもののみが入れる野球部が他5大学に勝利することは大変なことだ。


その東京大学野球部も5人のプロ野球選手を輩出している。


そして東京大学野球部からプロ野球の世界へ入った5人のうち2人が現在の横浜DeNAベイスターズに入団している。
1人は1965年の優勝した年のオフに大洋ホエールズに入団した新治伸治投手。新治投手こそ東京大学野球部初のプロ野球選手だった。
しかしそのプロ野球入団も非常にユニークだ。東京大学卒業後、大洋漁業に入社した新治投手はサラリーマンであったが、三原脩監督の後押しもあり、子会社の大洋ホエールズへの出向を命じられ、プロ野球選手になった変わり種だ。1年目に5勝、2年目にも4勝を挙げ、4年間の実働で9勝(6敗)を挙げている。
ちなみに東京大学野球部4年間での通算成績は68試合8勝43敗(43敗は東京六大学の最多敗戦記録)であったことからも、東京大学の1勝の重みはプロ野球で1勝を挙げるよりも重いのは、新治投手の成績から伺うことができる。



それから約40年後の2004年ドラフト会議で横浜ベイスターズがドラフト9位で指名したのが松家卓弘投手だった。
松家投手は高松高校時代にプロ注目の投手であったが、大学受験で東京大学文科二類に現役合格を果たし東京大学へ進学した。
東京大学時代は140km台後半のストレートを武器に通算25試合3勝17敗の成績。4年秋のリーグ戦では明治大学に2安打完封勝利をするなど、
2005年3月に卒業予定だったが単位が足りず、初の現役東大生プロ野球選手となった。
2005年に横浜ベイスターズに入団し、2010年に日本ハムファイターズへ移籍、2012年に戦力外通告をうけるまで8年間で実働2年14試合0勝1敗と未勝利だったが、近年にプロ入りした東大出身選手の中では最もプロ野球での活躍を期待できる選手であったと思う。


その証拠に8年にもわたるプロ野球生活の長さが、遠藤良平投手や小林至投手との違いを感じさせられる。
個人的には是非1勝を挙げて欲しかったが、アメリカ挑戦などを経て、今年から香川県の教員採用試験に合格し香川県立香川中央高等学校に教諭として勤務し、野球部のコーチも行っているそうだ。



↑東京大学野球部出身のプロ野球選手・松家卓弘投手と小林至投手の寄せ書きサイン色紙。



そんな東京大学野球部と横浜DeNAベイスターズとの関わりを無理やり探してみたのだが、まず東京大学野球部が連敗記録を続ける期間中にいくつかの連敗ストップのチャンスがあった。そのうちの一つが、2011年秋季大会の対法政大学、投手戦が続き9回表まで両チーム無得点だったが、9回裏に法政大学に1点を奪われサヨナラ負け。この時の法政大学の投手が三上朋也投手だったのだ。



そして東京大学野球部が最後に勝利した2010年10月に横浜ベイスターズのシーズン負け数95に達し1955年以来55年ぶりの負け数となった。
その負け数とほぼ同じ連敗数を東京大学野球部は2010年10月から2015年5月23日まで続けた。そういえばこの東大の連敗ストップ直後から始まった交流戦で、開幕から絶好調だった横浜DeNAベイスターズが急失速したような気も・・・



そんな訳で最後はなんとなく縁のあるように感じる東京大学野球部と横浜DeNAベイスターズ(大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ)を無理やりリンクさせてみた。