やっとこの日が来たか・・・
そんな衝撃だった。
5日(現地時間)、アメリカの野球殿堂が6名の野球殿堂入りを発表した。
黒人初のプロ野球選手であったバド・ファウラー、ブルックリン(ロサンゼルス)ドジャースのギル・ホッジス、通算283勝のジム・カート、3度の首位打者に輝いたキューバ出身選手トニー・オリバー、
そして
ニグロリーグの歴史を語るうえで欠かすことのできないカンザスシティ・モナークスの名選手にして名監督
バック・オニール
さらにさらに、
ニグロリーグ出身であり現在のラテンアメリカン選手のパイオニア、メジャーリーグで5世代(1940、50、60、70、80年代)、さらに独立リーグで90年代、00年代出場した出場したのは7世代(40年代~2000年代まで)。
オレステス・ミニー・ミニョーソ(ミニー・ミノーソ)
ミノーソは1949年4月19日にクリーブランド・インディアンスからデビューした初の黒人系キューバ人選手。彼はニグロリーグ出身のラテンアメリカンのパイオニアとして活躍。1951年にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍(シカゴ初の黒人選手)以降は一気にメジャーリーグを代表する選手となり『ミスター・ホワイトソックス』と称された。盗塁王3回、オールスター出場7回、ゴールドグラブ賞は創設年を含む3回受賞。メジャーリーグで1940、50、60、70、80年代と5つの年代でプレーした史上2人目のプレイヤー。独立リーグでは90年代、00年代も出場しており7つの年代でプレーしたことになる。2015年3月1日、彼は友人とのパーティーからの帰りの車の中で息を引き取った。89歳だった。私はちょうどキューバからホワイトソックスのキャンプに立ち寄り、日本に帰国する飛行機に乗り込む直前に彼の訃報に触れ、この旅の最後はミニー・ミノーソの功績を振り返りながら日本に帰ってきたのを今でも鮮明に覚えている。オバマ大統領もミノーソが野球殿堂入りこそできなかったが自分(オバマ)や黒人とラテンアメリカンの若者に大きな影響を与えたと追悼のコメントを述べている。
なぜバックオニールとミニーミノーソは殿堂入り出来ないのか?
常々そう思っていた。
まさか二人が同日に野球殿堂入りするとは。
こんなにうれしいことはない。