世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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尊敬

1947年の4月15日、当時、白い肌を持った者しかプレーすることの出来なかったメジャーリーグにフィールド黒い肌の選手が現われた。

彼こその名は、ジャッキー・ロビンソン。黒人初の大リーガーだ。

今でこそ、いや平和ボケしている日本に住むボクらからすると想像することすら難しいが、わずか50数年前のアメリカではトイレやレストラン、バスの席すら黒人と白人で区別されていた。

 今でもアメリカでは人種差別は残っているが、当時の黒人には人権すらない人間として扱われていなかった。

 野球に関しても、メジャーリーグでプレーすることの許されない黒人だけのプロ野球ニグロ・リーグ』が存在した。実力はメジャーリーグを凌ぐレベルだった。

 通産勝利数2000勝以上、ノーヒットノーラン55試合以上、大リーグ選抜チームとの試合で1試合20個以上の三振を奪った伝説の速球王・サチェルペイジや、通算本塁打962本、黒いベーブルースと呼ばれたジョシュギブソン

 ジャッキーもニグロリーグでプレーする一選手だったが、ジャッキーよりも野球のレベルが高い選手はいくらでもいたのだ。

 第二次世界大戦終結し1945年、ドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーは多くの反対者がいる中で黒人選手を採用することを決定し、ジャッキーを事務所へ呼び出し次のようなやりとりをした。

 リッキー「君はどんなことがおこってもプレーをする勇気を持っているか?」

ジャッキー「私に仕返しをする勇気がないというのか?」

 リッキー「私は仕返しをしない勇気を持った男を捜している。君は右の頬を叩かれたらどうするか?」

ジャッキー「両方の頬を差し出します。」

 ブランチ・リッキーとジャッキー・ロビンソンが行おうとしていることは「偉大な実験」と呼ばれたが、まさに人類の歴史を変える実験だったのだ。

 野球の実力ではなく、「仕返しをしない勇気」を持ったジャッキーでなければ決して成功することのない実験だったといえる。

 1947年ジャッキーロビンソンはメジャーリーグへ上がってきた。

当然、マスコミや白人選手、関係者の多くがジャッキーの出現を拒絶し、嫌がらせをした。

プロ野球はチームとして行動する訳だが、宿泊先がジャッキーだけ宿泊を拒否したり、黒人との試合は法律で禁じられていると試合中止にしたりと社会全体がジャッキーに対して圧力をかけ続けた。

もちろんチームメイトもジャッキーの存在を無視したり時にチームメイトであるジャッキーに対して嫌がらせもした。

 ジャッキーはどんな嫌がらせや脅迫をされても、ひたすら耐え続け、もくもくとプレーを続けた結果、少しずつ観客がジャッキーに声援を送り始めた。

 また相手チームからのひどい野次に対し、味方のチームメイトが「野次れるヤツを野次ってみろ!」とジャッキーを擁護しはじめた。

 8月の試合では、一塁を守るジャッキーロビンソンの足目掛けてに明らかにアウトの選手がスライディングをしてきた。この時、チームメイトがジャッキーのやられたことに大して怒り、相手に猛抗議をしたのだ。

 こうしてジャッキーロビンソンは「仕返しをしない勇気」を持ち、ただひたすらプレーをすることで、人種の壁を壊していったのだった。

 この年、ドジャースはジャッキーの活躍により優勝し、制定されたばかり新人王を獲得した。もうジャッキーはドジャースにとってなくてはならない存在へとなっていた。

 その後、ジャッキーは1956年までプレーし首位打者1回・盗塁王2回・MVP1回を獲得し、ドジャース黄金時代を築いた。

 ジャッキー・ロビンソンが人種の壁を壊したことにより、黒人選手に対するメジャーリーグの扉が開かれたのだ。

 1948年、あの伝説の速球王サチェル・ペイジも推定42歳(←戸籍がなかったため生年不明)ながらインディアンスに入団。サチェル・ペイジが登板する時は常に超満員になるほどの凄まじい人気だった。シーズン途中入団で6勝1敗10セーブでインディアンスを優勝に導き、その後マイナー降格もあったが推定59歳で再びメジャーリーグへ昇格し登板した。

 1965年ジャッキーは野球殿堂入りし、72年10月に亡くなるまで黒人運動に参加し続け黒人の地位向上へ貢献した。

 ジャッキーの墓石には、次の言葉が刻まれている。

「A life is not important except in the impact it has on other lives.」

(他人の人生に影響を与えない人生など意味がない)

 1997年、ジャッキーロビンソンデビュー50周年を称え、メジャーリーグ全球団で彼のつけていた背番号42番を永久欠番とした。

 彼がいなければ、黒人選手はもちろん我々黄色人種メジャーリーグでプレーすることを許されることはなかったはずだ。野球をプレーする人間すべてにジャッキーは影響を与えたことは間違いない。

少なくともボクはジャッキー・ロビンソンという存在に出会ってから価値観が大きくかわった!今もボクの机の上には彼の写真が飾られている!