SUZUKI日米野球が今年11月に行われることが正式に決定した。
過去の日米野球と違う点は、なんといっても日本代表がWBCなどの国際大会を視野に入れた常設された日本代表であるということだ。
2006年の日米野球時には辞退者続出で議論を呼び、その後日米野球は行われていなかった。
MLBの監督はダルビッシュ有投手のチームでおなじみのテキサス・レンジャース、ロン・ワシントン監督が務めることが決定。
さらに驚いたのは決定した4選手の顔ぶれだ。
アルバート・プホルス(セントルイス・カーディナルス)
ヤシエル・プイグ(ロスアンジェルス・ドジャース)
ロビンソン・カノ(シアトル・マリナーズ)
アダム・ジョーンズ(ボルティモア・オリオールズ)
この時点でこれだけの選手が決定し、選手からのコメントが出ていることに驚きだ。
心配なのは過去の日米野球では内定していたビッグネームが出場辞退することも珍しいことではなかった。
特に近年は投球制限やケガなどの恐れもあり、MLBが主催するWBCですら選手を球団が出したがらない事情がある。
昔のファミスタのメジャーリーガーズのようなチームで来日することを期待したい。
もう16年も前の話だが、1998年の日米野球は私の意思ではどうしても外せない予定が入っていたこともあり観戦できなかった。
この日米野球での目玉選手は37年ぶりにロジャー・マリスのシーズン本塁打記録を更新するホームランレースを演じた1人、サミー・ソーサだった。
シーズン66本塁打を放ったオフにソーサが来日するなんていうのは奇跡としか言いようがない。
おそらく日米野球で来日したメジャーリーガーの中で、来日年に最もホームランを放ったのはサミー・ソーサの66本塁打で間違いないだろう。
しかし私にはソーサよりも見たい選手がいた。
ボストン・レッドソックスのノマー・ガルシアパーラだ。
前年の1997年の新人王ガルシアパーラは新人ながら右打者ながら30試合連続安打を達成するなど、その衝撃度は半端ではなかった。(ちなみにメジャー記録の56試合連続安打を放ったジョー・ディマジオは新人年18試合連続安打。前年新人王のデレック・ジーターは16試合連続安打。)
過去数年の新人王を振り返ってもガルシアパーラほど、その衝撃度は半端ではなかった。
日米野球開催中はTV観戦すらすることができず、今のようにハードディスクレコーダーもなかったので結局、ガルシアパーラの日本での雄姿は見ることができなかったことは未だに心残りだ。
そのことが私の日米野球の一番の思い出である。
(ちなみに実際に見に行って一番記憶に残っているのは2004年の日米野球でデービッド・オルティスが渡辺俊介から放った特大ホームランである。)
その翌年、あの日あの時見ることのできなかったノマー・ガルシアパーラを見にロスアンジェルスへ飛んだ。
1999年夏、私はアナハイムのエディソン・フィールド(現・エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)にいた。
アナハイム・エンジェルスとボストン・レッドソックスの試合を見に行ったのだ。
お目当てはアナハイム・エンジェルスの中継ぎ投手だった長谷川滋利投手ではなく、ボストン・レッドソックスのノマー・ガルシアパーラだ。
しかし残念ながらボストン・レッドソックスのノマー・ガルシアパーラは故障で出場せず、長谷川滋利も登板はなかった。
見れてよかったのが、元シカゴ・ホワイトソックスのエースで1993年のサイヤング賞だったジャック・マクダウェル投手の登板が見れたことだ。
まさかジャック・マクダウェルを目の前で見ることができるとは夢にも思わなかった。
ノマー・ガルシアパーラは2004年トレード期限ギリギリでシカゴ・カブスにトレード移籍した。
東北高校のダルビッシュ有をこの目で見ようと甲子園まで行くスケジュールをたてていた時にトレードの一報が入ってきたので記憶に残っている。
その後ドジャース→アスレティックスと移籍したが、やはりボストンのユニフォームを着ているガルシアパーラしか私はイメージが浮かばない。
それだけ1998年の日米野球でレッドソックスのユニフォームを着たノマー・ガルシアパーラが見れなかったのはショックだった。
そういえばあの頃、サミー・ソーサがクリスタルガイザーのCMに出演していて、サインボールやサイン入りTシャツプレゼントというキャンペーンをやっていた。
日米野球で来日したソーサは、ホームランレースでのサイン相場の高騰や偽サイン問題もあってか、あまりサインをしなかった。
そんなソーサのサインがゲットできると思い、私も私の友人たちもこぞってクリスタルガイザーを飲んでキャンペーンに応募した。
その後、小包が届き箱を開けてみると、印刷されたサインボールが入っていた。(キャンペーンの写真は直筆だった。)
友人たちも当選していたが、全員そろって印刷されたボールだった。
みんなでガッカリしたのを覚えている。
≪1998年日米野球来日メンバー≫
ビリー・ワグナー
ケビン・ミルウッド
フェルナンド・ビーニャ
ダミアン・イーズリー
ハビア・ロペス
アル・ライター
B.J.サーホフ
マニー・ラミレス
ブレット・トムコ
グレッグ・ボーン
ビニー・カスティーヤ
ノマー・ガルシアパーラ
トレーバー・ホフマン
ジェイソン・ジオンビー
レイ・オルドネス
マイク・ハーグラブ
≪記事≫
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