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マニー・マチャドの連続試合安打は16でストップ!ディマジオの壁高く

数日前にアメリカ・メジャーリーグのボルティモア・オリオールズに所属するマニー・マチャド選手が開幕から15試合連続安打を続けていたことを書いたが、その記録は16試合で途絶えてしまった。ジョー・ディマジオの56試合連続安打がいかに大きな記録であるかを改めて感じさせられた。


今回、マチャドが16試合連続安打でストップしたが、この【16】という数字がまたディマジオをより偉大に感じさせられる数字なのである。
1941年に56試合連続安打を達成したディマジオは、その記録が57試合目に途絶えたことはあらためて言うまでもない。
しかしディマジオはこの【57試合目】の次の試合から再びヒットを重ね、16試合連続安打を記録している。
16試合連続安打ですら大変なことだが、1941年のジョー・ディマジオの記録の後の【おまけ】として語られる数字でしかないと考えると56試合連続安打の壁は非常に高い。
ちなみにディマジオは日本でも馴染みのあるパシフィック・コーストリーグのサンフランシスコ・シールズに所属していた1933年に61試合連続安打も記録している。
もし【57試合目】にヒットを放っていれば、記録は【73試合連続安打】となっていたということを考えるとディマジオとは一体何者だったのだろか?
その雄姿をリアルタイムで見ることができなかったので、非常に気になるところではある。


そういえばそんな【大ディマジオ】と、日本の伝説的投手・沢村栄治投手は対戦している。
沢村投手が大日本東京野球倶楽部として第2回アメリカ遠征(1936年2〜4月)をした際に、当時サンフランシスコ・シールズでディマジオが4番を打っていた。
遠征中、沢村は日本でもなじみ深いシールズ監督のフランク・オドゥール監督が着ていたギャバジンという生地の背広を見て気に入ると、オドゥール監督は「ウチ(シールズ)の4番(ディマジオ)から三振を取ったら、キミ(沢村)に同じ背広をプレゼントしよう」と約束する。それだけでなくオドゥール監督は巨人軍全員に同じ背広をプレゼントすると言い始めたのだ。
遠征中、シールズとの試合が数試合組まれていたが結局、沢村は三振を取るどころか特大のホームランを浴びてしまい、オドゥール監督との勝負に負けた。完敗を認めた沢村にオドゥール監督は、沢村が悪いのではなく、打者(ディマジオ)が良すぎたのだと言ったという。




さて前述のとおりディマジオをリアルタイムで見た方も少なくなってきている訳で、彼を語るには残されたムービーと記録(統計)、そして逸話からイメージするしかない。
しかし幸運なことにマニー・マチャドというスーパープレイヤーが歴史を作っていく雄姿をリアルタイムで見ることは我々にもできるのだ。



日本でマチャドのような若者といえば東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手だろう。
昔は小鶴誠が【和製ディマジオ】などと呼ばれていたが、山田哲人は【和製マチャド】といったところだろうか。