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Sports Illustratedの表紙を飾った最初の日本人・坂井義則氏

スポーツイラストレイテッド
Sports Illustrated


アメリカで1954年8月16日に創刊された週刊スポーツ雑誌だ。


「SIの価値は【表紙】にあり」といわれることからもわかるように、表紙こそSIの最大のこだわりなのだ。



ポスターなどのインテリアのように使いもよし、サインをもらう土台に使うもよし、その用途は一雑誌の範疇を越えているのだ。
日本ではあまり馴染みの薄いSI誌だが、"not A sports magazine, but THE sports magazine"というキャッチコピーのとおり、一スポーツ雑誌ではなく「スポーツ雑誌=Sports Illustrated」なのだ。もちろん本場アメリカではメモラビリアの人気ジャンルとして扱われるほどのコレクターズアイテムでもあるのだ。



創刊から2015年までに表紙を飾ったスポーツ選手ランキング1位はマイケル・ジョーダン(NBA)の50回、2位がモハメド・アリ(BOXING)、3位はタイガー・ウッズ(Golf)の24回となっている。



表紙を飾ることは大きな名誉であるが、日本人で表紙を飾った人物も数人いる。



その表紙第1号は当時としては意外な人物だったかもしれないが、時を経てみるとその表紙の芸術性・歴史性は我々日本人にとっては特別なものとなった。



坂井義則 氏



この名前を聞いてピンときた方は比較的年齢層の高い方が多いのではないかと思う。
坂井氏とは1964年(昭和38年)の東京オリンピック開会式で聖火リレーの最終ランナーをつとめた当時19歳の青年だ。
1945年8月6日午前8時15分、広島県広島市に原爆投下された。当時の広島市の人口は約35万人といわれているが、そのうち9万〜16万6000人が被爆から4か月以内に死亡したといわれている。
そんな多くの犠牲者をうみだした人類史上に残る悲劇のわずか数時間後に一つの生命が誕生した。


その生命こそ坂井義則氏だったのだ。
その坂井青年は早稲田大学に進学し東京オリンピックを目指す陸上の強化選手であったが代表選考会で敗退し東京オリンピックへの道は潰えた。
しかし大会組織委員会は、既に決まっていた聖火リレーの最終ランナーを広島原爆投下の日に生まれた坂井青年に託すことにしたのだ。

1964年10月10日の東京オリンピック開会式、国立霞ヶ丘競技場(国立競技場)で聖火リレーの前ランナー・鈴木久美江さんから託され聖火を掲げトラックを半周。
そして聖火台への階段を昇り、日本秋空を背景に聖火台に立ち、オリンピックの聖なる火は東京に灯された。





その後のスポーツイラストレイテッド誌には日本を代表するスポーツ選手数名が表紙を飾ったが、この表紙を越える感動を与えるものはない。
あれから約半世紀を経た2013年9月7日のIOC総会で2020年の夏季オリンピックの開催都市が東京に決定した。東京で夏季オリンピックが開催されるのは59年ぶり。
その一年後の2014年9月10日3時1分、坂井義則氏はこの世を去った。(享年70歳)
坂井氏がこの世を去り1年もしないで感動の舞台もまた姿を消した。





栄光の最終走者は昭和20年8月6日生まれ

無限の未来と可能性をもった19歳の若者・坂井義則君です。