世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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田中幸雄2000本安打!沢村栄治サザビーズへ!

田中幸雄が2000本安打達成しました・・・

次なる心配・・・・今季限りで引退してしまうのでは・・・ちょっと心配です。

 

さて来月5日ニューヨークで、名門オークション・サザビーズに日米野球ゆかりの品が大量出品されることとなった。


目玉は1934年の日米野球で来日したオールアメリカンチームの寄せ書きサインボールで、落札予想価格は25,000〜35,000ドル(約300万〜420万円)。個人的にはLOT.24の1935年大日本東京野球倶楽部の船上での集合写真にサインが入った写真が素晴らしいと思う。沢村栄治・スタルヒンに田部武雄らと入手困難な伝説選手らのサインが入っているからだ。予想落札価格は4,000〜6,000ドル(約48万〜72万円)。

 

ちなみにTV東京のお宝鑑定番組『開運!なんでも鑑定団』でも1934年の日米野球ものは何点か出ている。


ベーブ・ルース&ルー・ゲーリッグ&レフティ・ゴーメッツのサインボールは110万円。(95年O.A)

日米両選手団のサイン帳は140万円。(97年O.A)

日本選手団のサインの額は60万円。(98年O.A)

日米両軍(ルース・ゲーリッグ・沢村ら)のサインボール2個が250万円。(99年O.A)

沢村栄治のサインボールは170万円。

日米野球の記念アルバム(日米両軍選手の直筆サインあり)が300万円くらい(←記憶が定かじゃない!w)。

井野川利春の日本チームのユニフォームには1000万円。(04年O.A)

ベーブ・ルースのホームランボールには300万円。(06年O.A)

※すべてO.A当時の鑑定金額であり、実際には変動している。



 また日本の近代美術のオークションに沢村栄治のパスポートが出品され、予想価格を大幅に上回る180万円で落札された。(競ったのは日本人と外国人だったようだ。) 

先日も書いたばかりだが、好景気に沸くアメリカ・オークション業界、過去最高額が連発している近況を考えると果たしてどれ位の落札額になるかはわからない。


 まぁすべてに言えることは、数が圧倒的に少ないということ。

アメリカのものだったら、もっと数はあるのだろうが、1934年の日米野球の後、太平洋戦争により日本を壊滅的なダメージを受けている。戦後、焼け野原から始まっていることからもわかるように、焼失したり日用品や軍需品に姿をかえたものも少なくなかっただろう。ましてや敵国のスポーツだと非難を受けていた訳だ。

 多くの犠牲者を出した太平洋戦争だが日米野球に参加したメンバーも例外ではなかった。

伝説の速球王沢村栄治は3度目の応召で44年12月2日、南方戦線へ向かう途中、乗った船は台湾沖でアメリカ軍の魚雷が命中し沈没し命を落とした、享年27歳。捕手の倉信雄は沖縄戦線で、時代に消された名投手・青柴憲一は終戦後11月平壌で病死、新富卯三郎はビルマ戦線で命を落とした。アメリカ遠征に参加した伝説の快足・田部武雄も45年6月、激戦だった終戦間近の沖縄・摩文仁海岸でアメリカ軍の銃撃に倒れた。アメリカ遠征参加選手18人のうち5人が戦死したのだ。野球界のスターが戦死していったのは、たった60年前の出来事なのだ。

 日本が誇る伝説の名投手・沢村栄治は1934年の日米野球には、1932年に発令された野球統制令の影響から京都商業高校を中退して参加している。当時17歳。しかし17歳のスクールボーイは、11月20日に静岡県草薙球場で行われた第10戦で世紀の大快投を見せる。

 沢村は世界最強チームと呼ばれたルースやゲーリッグ、ジミー・フォックスらから連続三振を奪う快投を見せ、敗れはしたものの完投した。しかも失点は7回にゲーリッグに浴びた1本塁打の1点のみ。17歳の少年が世界最強チームを抑えた快挙は当時アメリカでも報道され、スクールボーイ・サワムラは既に海の向こうでも知られ始めていたのだ。

野茂が渡米し、イチロー、松坂と日本野球は間違いなく世界に通用するレベルになった。

そう考えると今後、沢村栄治という伝説の名投手は、アメリカでも伝説の名投手となるかもしれない。

そういった意味でも今回のこのサザビーズのオークションに私は非常に興味を持っている。



伝説の名投手・沢村栄治のサイン。かなりの数の沢村栄治のサインを見てきたつもりだが、とにかく数が少ない。パンフレットへのサインや記念アルバムへのサインなど、紙へのサインは比較的よく出てくるのだがやはりボールとなるとその数は圧倒的に少ない。

サインボールは国内ではせいぜい数十個ほどしか存在しないのではないかとボクは思っている。


なんといってもあのベースボールマガジン社の資料室で第2回アメリカ遠征(1935年)の選手らにサインされた集合写真を見つけるのが困難だったというストーリーがあるのだから・・・


 野球殿堂博物館をはじめ、いくつかの博物館には沢村栄治のサインボールは所蔵・展示されている。ボールに書かれたすべてのサインを見てみると、サインはか細く、他の選手と比べ筆跡が圧倒的に薄く、まぁ一言で言い表せば「それでもしっかり書かれている」といった感じだろう。

 ちなみにアメリカ遠征などでも人気もあったことからもちろんニセモノも存在する。時たまにしか出てこないことから沢村のサインはニセモノでも高値で取引されるが、多くの沢村のサインを見ている人だったらニセモノは一目瞭然、沢村栄治の筆跡ではないことがよくわかるだろう!