世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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球宴を振り返る〜江夏豊という男

日米球宴が終わった。 


アメリカ球界では「世界の至宝」となったイチローだが、イチローの存在は今のアメリカ球界へ投げかけるメッセージがあるのではないかと思う。


野球というスポーツは元来、俊足巧打が一流選手の条件だった。

しかし、ベーブ・ルースの登場により野球は本塁打全盛時代を迎える。その後、ある時期までは様々なタイプの選手がメジャーリーグには存在していたが、やはり90年代あたりから徐々にメジャーリーグはホームラン色が強くなったといえる。特に94年のストライキが明けて、人気の低迷していたメジャーリーグは98年にマグワイアとソーサの歴史的なホームランレースに全米中が熱狂したが、この年、シーズン50HR以上放った選手が4人(70本台1人・60本台1人・50本台2人)と前代未聞の異常事態となる。盗塁数も年々少なくなり、メジャーリーグの野球は動かない野球と変わってきている。



最近のメジャーリーグに俊足巧打といった選手は絶滅危惧種に指定されるほど少なくなった。

アメリカ野球には昔から圧倒的な力と敵をも魅了するような技術力を持った選手が多かったが近年消えた技術力をイチローは見せ付けている。




球聖タイ・カッブがバットを握る時に左手と右手を離して握っていたが、あれはバットコントロールをより確実にする技術であり、俊足のカッブにとっては自分のよさを100%引き出す技術だったのだ。


イチローの技術はココ15年くらいのメジャーリーガーの中でも郡を抜いたものだとボクは見ている。常に付きまとう日本からの報道陣が、恐らくココロの奥底でイチローの評価を「日本のイチロー」と下げているように感じているが、彼は間違いなく「世界のイチロー」だ。


毎年メジャーリーグのオールスターが終われば日本のオールスターだ。


厳しいことを言えば、日本のプロ野球は窮地に立たされていると思う。

誰もが気づいているがなかなか口にしないが「メジャーの植民地」もしくは「マイナーリーグ」へと姿を変えてきている。

日本はいわずと知れた野球大国。

それがこの状況では少々切なく感じる。


今回スポットライトを当てるのは、1971年のオールスターゲームで打者9人に対して連続奪三振江夏豊

通算成績を見れば江夏豊という名前はせいぜいセーブのところに出てくるくらいだろう。

しかし、いつの日か江夏豊に魅了されていった。



江夏豊は入団2年目のシーズン半ばで当時の奪三振記録に迫った。

新記録を王貞治から取ると宣言する。

しかし、江夏はタイ記録である353個目の三振を王貞治から奪ってしまった。

あと8人、江夏が三振をとれない訳がない。

しかし、ココで江夏の記録では見えない一つの伝説が誕生する。

江夏は次の王貞治の打席までの8人の打者に対して、1個も三振を奪わなかった。

これは王貞治から新記録となる三振をとる為に三振をわざと取らなかったのか偶然だったのか、真意を知っているのは当時マウンドにいた江夏豊だけだ。


そして迎えた王貞治プロ野球数々の名勝負ではココで打者が意地を見せつけ打ち返すことが多いのだが、江夏は宣言どおりに王貞治から新記録となる354個目の三振を奪ったのだ。この年401個の奪三振は記録したが、日米野球界を見ても400三振を奪ったのは江夏豊ただ1人である。(MLBの記録はノーラン・ライアンの383個)



1971年第1戦のオールスターゲームで3イニング打者9人に対して9連続奪三振を奪ったことは今更書くことでもないが、この試合、投手・江夏が放った3ランホームランが勝負を決めたということはあまり知られていない。


さらにこの9連続奪三振は有名だが、前年70年のオールスターでは3イニングで8奪三振を奪っており、最後の5人は連続三振を奪っており、また71年の第3戦の登板でも最初の打者からも三振を奪っているので合計15連続奪三振を記録しているのだ。(←これもあまり知られていないが…!)決してペナントレースではない。

「人気のセリーグ、実力のパリーグ」と呼ばれた最強パリーグ打撃陣から奪ったところにさらに付加価値がある訳だ。


江夏は首脳陣との関係が悪く阪神から南海へトレードに出され、南海で野村克也と出会うこととなる。南海・野村監督の勧めでストッパーへと転向。その後広島移籍。



そして伝説「江夏の21球」。


1978年の日本シリーズ、広島vs近鉄3勝3敗で迎えた最終戦。勝ったほうが日本一である。

この時、マウンド上の江夏の置かれている場面は9回裏無死満塁、点差は1点。


恐らくこの局面を越える絶体絶命は、二度と無いと思う。


しかし、江夏はこのピンチを21球で抑えたのだ。

確実に点の入ると思われたスクイズを外し、三塁ランナーを刺す神業を見せるなど、一球一球がまさに伝説といえた。


そんな江夏の引退試合は東京にある一本杉球場という野球場だった。高校野球の予選なんかでも使われるようなグラウンドだ。


その後、日本ハム西武ライオンズへと移籍し、最後は36歳でメジャー挑戦。ブリューワーズのキャンプに参加。はじめは順調に抑えてたものの徐々に失点を重ね、最後はメジャー最強の打者レジー・ジャクソンから三振を奪うと豪語したもののチェンジアップをセンター前にはじき返され、開幕3日前に解雇となり現役生活を引退。



数々のドラマを作り出した江夏豊、オールスターだけでなくシーズンでも当たり前のように活躍していたが、ただ活躍するだけではなくドラマをつくってこそプロ野球

メジャーの下にならないようにするには江夏のような選手の登場が不可欠かもしれない。


※ちなみに江夏豊野球殿堂入りはしていない。