世田谷草野球ロスヒターノス・ブログ

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なんでも鑑定団にサインボール

実はボクは1週間のテレビ番組表をいつもチェックしていて、見たいテレビ番組・興味のあるテレビ番組はHDDに録画して、後日見ています。

そんなボクが先週半ば頃にテレビ番組表を見ていたら【開運!なんでも鑑定団】の番組内容のところに『昭和9年の日米野球のサインボール』が出ると書かれていたのです。

古伊万里とか絵画とかには全く興味はないのですが、やはり野球のモノが出るのであれば・・・


『見たい!!』


と思ってしまう訳です。

野球を始めてからボクは野球のありとあらゆるものを収集してきました!w

古本・古雑誌はもちろん古新聞、またビデオやDVDなどの映像、ベースボールカード(←最近は高くなったので買わなくなりましたが・・・w)や写真・メンコ・ブロマイド、チケットやテレホンカードや記念コインや切手、サインや選手が実際に使用したバットやユニフォームまで野球のモノであれば、なんでもボクにとっては収集対象なのです。

特に高価なモノというよりは捨てられていくようなモノ(最近では広島カープのカープキャラメルの箱とか!w)もボクにとっては『お宝』なのです!


さてさて鑑定品はなんだろう!?

昭和9年日米野球のオールアメリカンチームのサインボール?

昭和9年日米野球のオールニッポンチームのサインボール?

昭和9年日米野球の日米混合のサインボール?

 
昭和9年の日米野球のサインボールだったら上記の3種類が想定できる訳です!

金額的なことは別として、?オールアメリカンチームのサインボールは比較的数が出ているので、やはり鑑定団に出るくらいだから?オールニッポンチームか?日米混合のサインボールではないかと勝手な推測をして楽しみにしていました!!!


さぁ番組スタート!!!



オールアメリカンのサインボールでした。サインをされていた主は、モリス・バーグ(モー・バーグ)とベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスと監督コニー・マックの5名。


さて鑑定や如何に!!!!!!


依頼人の本人評価額は30万円!!!




鑑定額は:::::250万円!!!!!!!





やはりスゴい!
昭和9年の日米野球モノは日本野球史上もっとも歴史的価値のある野球グッズなのだ!!


と言っても、今回出てきたボールは数人しかサインしていないので珍しいものだがオールアメリカンのサインボールは比較的市場でよくお目にかかることができます。


もちろん数があるからと言って安い訳ではなく、昨年6月のサザビーズのオークションでは昭和9年日米野球オールアメリカンのサインボールに5万2800ドル(当時のレートで約650万円)と高価な事には変わりない訳です!!!高すぎます・・・


それにしても日本での開催ということもあって日本国内でも比較的良く見つかるオールアメリカンのボール。今回の依頼人の方もそうですが、このボールを持っている方の多くがこのボールに関して、先祖代々からの逸話を持たれています!


前にも書いたと思いますが、この昭和9年の日米野球のオールアメリカンチームの寄せ書きサインボールを持っている方から画像つきでメールをいただいたことがありましたが、この時もやはりその方の祖父の代から代々受け継がれていたという逸話を聞いてまた一段とこの日米野球の存在の大きさを知ることとなりました。


確かに高価なこのボールですが、やはり昭和の大イベントそしてベーブ・ルースという伝説のホームラン打者の来日によって入手されたサインボールは代が代わって、本人から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へ・・・と引き継がれていくものなのかなぁっと感じがしました。そしてその興奮やそのボールにまつわるエピソードもまた引き継がれていくことが多いようです。その価値はやはりプライスレスですよね♪w

 

逆に個数が少ないのは沢村栄治を含む昭和9年日米野球オールニッポンチームのサインボール。


この日米野球で世紀の大快投を見せつけた17歳のスクールボーイ・沢村栄治のサインボールは市場で遭遇することすら天文学的な確率で、かと言って「見つけたら即買」と言えるような手ごろに買えるモノでもありません。

ココ最近では02年頃には某ネット博物館で展示されていたサインボールに100万円以上の金額がつきましたが出品取り消しの為、取引成立しませんでした。同じく02年頃に日本の有名オークション会社の中に美術品と混じり出品されていました!3件目は04年春ごろにアメリカのオークションで沢村栄治を含むサインボールが登場!06年ごろにもヤフーオークションにて沢村栄治の筆跡のかなり薄くなったサインボールが出品されていました。その他2個ほど確認いたしました。

アメリカのオークションでは同じ商品が何度も何度も落札者が出品して、また新たなオーナーの場所へいくということがあるのですが、日本ではなかなかそのようなことがないので、1度出た沢村栄治のサインボールを再び市場で見ることは滅多にありません!(沢村栄治を含む日米野球のサイン入りパンフレットが出回っていたくらい・・・)


 高価ゆえに筆跡が沢村栄治でないもの(つまり偽物)も市場に出てきては高値で取引されます!もちろん、本物を手にとって見たことの無い方々にとっては本物か偽物かを判別することは難しいかもしれません!確かに写真を見るというのも一つの手ではありますが、沢村栄治の筆跡は写真で見るのもイイのですが、実物を見たほうが何とも言えない臨場感が漂ってきます!w

 

今日の『なんでも鑑定団』ではやはり沢村栄治のサインボールが出てくることを期待していただけにちょっぴり残念でした。

東京六大学や高校野球にも素晴らしい選手はたくさんいましたが、やはりこのベーブ・ルースというメジャー史上もっとも人気のあったスーパープレイヤーが来日した日米野球で沢村栄治の草薙球場での快投がなければ今日日本プロ野球は存在しなかったかもしれません。

長くなりますが下記が沢村の日米野球以後の行動です。

昭和9年11月日米野球が終わると翌昭和10年2月14日〜7月16日のやく半年間はアメリカ遠征で日本国内にはいません。

帰国後は内地遠征の為、11月19日まで日本国内を転戦しますが、昭和11年2月14日〜6月5日の期間は第2回アメリカ遠征。

帰国して昭和13年1月10日に軍隊に入営すると、4月3日に広島から中国・青島(4月6日着)へ。同年8月に帰国し、昭和15年4月9日に除隊。

昭和16年10月に2度目の応召で津の第三十三連隊に入営。11月15日夜、名古屋港からフィリピン・ミンダナオ島に上陸(12月12日)、昭和18年1月帰国。その後、川西飛行機製作工場の職工となります。昭和19年2月17日、巨人軍は沢村栄治を解雇。そして10月に3度目の応召、昭和20年8月15日に太平洋戦争は日本の敗戦で終結しましたが、父沢村賢治サンのもとに昭和21年7月20日付の黒枠のハガキには

『故 長男陸軍兵長、沢村栄治儀昭和十九年十二月二日戦死遺骨帰還仕リ候間玆ニ生前ノ御交誼ヲ拝謝シ此ノ段御通知申上候』

つまり沢村栄治の戦死を知らせた葉書でした。昭和19年12月2日台湾沖で沢村の乗船がアメリカ軍の魚雷攻撃を受けて沈没し戦死。


日米野球以後は実働は5年間、戦地で肩を壊したため、実質2年間だけが伝説の投手・沢村栄治でした。

サインボールの話をしていたのを忘れていましたが、もちろん時代はサインボールどころの話ではありません。

彼のゆかりの品はほとんど残っていないので、伝説の名投手の品をもって見てみたいですね!

そしていつも思うことがあります。


「戦争さえなければ・・・」

沢村栄治に関わるもの(サインボールはもちろん写真・新聞・雑誌など)を見るたびにいつもそんなことを思います。