私がメジャーリーグを好きになった頃、伊東一雄という人物は、常に私の読んでいたメジャーリーグの本・雑誌に執筆していたものだ。
伊東一雄とは、俗にいうパンチョ伊東である。
先日、高校生にパンチョの話をしたらパンチョを知らなかったのだ!
まず、その大リーグの知識にビックリ!
メジャーでの交友関係の広さにビックリ!
キャラにビックリ!
そして、頭にビックリ!
というのが多くの人が持つパンチョ氏のイメージだろう。
元々はパシフィックリーグの職員であったパンチョ伊東氏だが、同時にメジャーリーグに関しての仕事も多かった。
それだけ日本にメジャーリーグが根付いていなかったからだ。
日本にメジャーリーグのニュースが入ってくるようになったのは、95年に野茂英雄が渡米してからだ。
それまでメジャーリーグの情報はほとんど入ってこないし、ファンはもちろん今のようにメジャーリーググッズもほとんどなかったし、ほとんど売られていなかった。
しかし、驚いてはいけない!
パンチョ氏がメジャーリーグに興味を持ったのは戦後、日本に駐留していた米軍向けのラジオ放送を聴き、独学で英語を学びながらメジャーリーグの世界へとドップリつかっていった。
さらにジョー・ディマジオが日本に来日時には、当時学生だったパンチョ氏は警備員の制止を振り切り、ディマジオの車に飛びつき、そしてディマジオにサインをもらった。
後年、パンチョはディマジオとメジャーリーグの解説で対面したときにディマジオにそのエピソードを話したところディマジオも覚えており、50年来の友人とパンチョにサインしたという。
それだけではない!
パンチョは、ロジャー・マリスなどとも面識があった。
こんな日本人はパンチョ氏以外にはいないだろう。
02年7月に逝去すると、なんとメジャーリーガーでもなければ、日本のプロ野球選手でもない、それどころかパリーグの職員・メジャーリーグ解説者と肩書きだけきけば別に驚くような人物ではない。
しかし、肩書きでは現せない功績をパンチョ氏は残している。
その証拠に、メジャーリーグのオールスターゲームで行われるその年に亡くなった関係者に対する追悼セレモニーで、パンチョは数人名前を呼ばれた中に入っていた。
メジャーリーグのオールスターで行われる追悼セレモニーで名を呼ばれることをパンチョ氏自身、予想していたかは解らないが、最高の栄誉と感じているはずだ。
確かにイチローや松坂・松井・野茂・・・みんなスゴイが、やはりパンチョ氏は世界的にスゴかった!
いろんな意味で・・・
大リーグマニアを自称する人は是非パンチョ氏の著書を読んでみてください!
やはり生で大リーグ史に接してきたパンチョ氏の凄さがわかります!









